15、ケアンズ

ケアンズはオーストラリア北の玄関口。スキューバダイバーにはおなじみのグレイトバリアリーフ、そしてアマゾンよりも古いといわれる熱帯雨林、と2つの世界遺産をもつ観光地だ。日本からは直行便もあり、7時間ほどでいける。町ではいたるところで日本人や日本語の看板を見ることができた。南半球は当たり前だが北にいくほど暑い。ケアンズの夏場の気温は40度近くまであがり、ものすごい日差しと湿度で、日本の夏の比ではなく、紫外線も5倍の強さがあるとか。

私はここで次なるミッション“乗馬ガイド”をやるため、ケアンズから車で30分ほどのパームコープにある住み込みの乗馬ファームへと向かった。
乗馬ガイドは人気の職種だ。と、いうわけで希望者に対して給料は支払われない。“やらせていただく”ボランティアとして働くのが普通だった。給料はでないかわりに馬に乗れて、衣食住すべて世話になる。
私が世話になったのはJTBのツアーなどでおなじみ(らしい)牧場だったが、ものすごい金銭主義の、日本人を奴隷のように扱うとんでもないファームだった。
ステイ先の家族との和気あいあいを想像していた私にはショックだった。ここには私をいれて計5人の日本人、オランダ人の女の子がいた。
コースは山の中をえっちらおっちらと上り下りするもので特に技術は必要ない。この牧場へ入って2日目。私はガイドとしてお客さんの列の最後尾につき、えっちらおっちらと山道を散策していた。馬は必死だろうが、上にまたがってるだけの私はあまりに単調なコースについうとうとと眠気さえ起こってきた。ところ突然
「ヒヒ〜〜ンッ!」
馬が突然前足を高くかかげ上半身をのけぞらせた。あまりに突然だったのと、なんの予備知識も覚悟もなかった私はそのままころりと馬の背から転がり落ちた。ところが運悪く下には先のとがった大きな岩が。ノーバウンドで見事にそこへ突き刺さるように転落した。これには参った。スタッフに救助されすぐにオフィスへと戻されたが、もう歩くこともかがむこともできない。しかも私は旅慣れた人間の浅はかさで保険に入っていなかった。これだけの猛烈な痛みを伴っていても、医者に行く金もなく、ただただ自然治癒するのを待つしかなかった。日本に帰ってきて分ったことだが、なんとこのうっかりした転落で私は左おしりの筋肉を破損していた。おしりはもともと割れているが、そうではなく左臀部の筋肉まで裂けていた。医者にいかなかったので自然治癒させたわけだが、この結合部分がしこりとなったらしい。私はスポーツクラブでダンベルを背負ってのスクワットやボクササイズなどの筋トレが大好きだが、こういったおしりの筋肉を鍛える運動は普段なら嬉しいところだけど、私の場合鍛えれば鍛えるほどこのしこりがまわりの筋肉を巻き込み、肥大し、そして石のように硬くなっていったらしい。その硬くなった筋肉が尾てい骨の神経をサワサワと触るのだ。これは痛い。超痛い。神経の痛みは経験した人しか分らない。笑うだけでも、咳きをするだけでも響いた。整骨院で直したが、これ以来、エアロビも大好きなボクササイズも怖くて一切できなくなってしまった。

さて、当時はなんだかんだ言って痛い体をひきづりつつ、気合で翌日からまた毎日馬に乗っていたわけだが、結局私はその牧場を2週間で後にした。怪我のせいではない。私たち日本人が英語が分からないのをいいことに影で「スレイブ(奴隷)」といわれていたからだ。住み込みの日本人4人以外は仕事が終わると、とっとと自分の家に帰る。でかい鍋一つに夕飯を残し、冷蔵庫には鍵がかけられた。近所に店はなく、私たちはそのなべと共に無人島へ残されたような感じだった。タダなのをいいことに死ぬほどこき使われ、与えられた部屋は豚小屋のようなホコリにまみれた、信じられないくらい汚い部屋だった。
床は下がみえないくらいホコリがたまっており、ダニの巣窟のような、汚らしい粗末なベットがあるだけの部屋。朝はスタッフがくるまで冷蔵庫は空けられない。彼らが遅刻してくると、ちょー過酷な労働なのに朝ごはんぬきで昼までお腹をすかせながらひもじい思いをしなければならなかった。乗馬は馬にのってるだけならとてもラクだが、本当に大変なのはその世話だ。蔵は女の細腕には重く、彼らの糞の始末や餌やり。1頭、2頭ならいいが、40頭近くところ狭しとつながれたでかい馬全ての世話をするのは並大抵のことではなかった。私は運良く逃れたが、皆馬に蹴られ、大きな青たんを作っていた。
さすがにばかばかしくなった私はオーナーに出て行くことを告げると荷物をまとめ翌朝一番でケアンズの町へ戻ることにした。
が、しかし。
運命はそう簡単には私を先へと進ませてくれなかったのである。
またまた事件はおきた。

続く・・・・・