| 23, 再びケアンズへ〜最後のミッション ツアーガイド |
さて、いよいよケアンズに戻ってきた。 ついでにここでケアンズ事情について少し詳しく説明したい。 町で多く目につくのはアボリジニーと呼ばれる先住民の姿だ。 言っちゃ悪いが、服こそ着ているけど彼らの骨格は原始人のそれに近い。 人種差別的発言? はい。なんとでも言って下さい。 だって本当なんだもん。茶色の肌に縮れた毛。アボリジニーはこの町ではかなり差別的な扱いを受けていた。 たいした仕事は与えられず、その代わり政府から生活保護をうけているので、べろべろに酒びたりになって、昼間から公園にたむろしていた。 アボリジニーによる犯罪率の高さも問題で、怖いので彼らには近づかないほうが無難だった。 しかし、もともと彼らはプライドのある先住民だ。白人に迫害され、仕事を奪われ、金を渡され骨抜きにされてしまった。 都会にいる人は誰もがそうだ。よっぽど強い意志を持たないと、どんどんスポイルされてしまうのだろう。人里離れたところで暮らすアボリジニーはもっと真摯な暮らしをしてるらしいけど。 またここには世界のダイバーを魅了するグレートバリアリーフがある。 ケアンズ自体にビーチはない。 遠浅の海岸なので、潮がひくと後にはどろどろの沼が残る。なので、船で40分ほど沖に浮かぶ人工島「ポンツーン」へ向かう。私はこの後ツアーガイドをやるわけだが、ガイドの研修中の特典として、見学とう名のもとにオプションツアーにタダで参加できた。 ダイビングライセンスを持っている私はまっさきにこのグレートバリアリーフを目指した。 その透明度たるや、いや〜、すごい。 スノーケルだけで十分楽しめる。 顔を水面につけるだけで、10メートル下に泳ぐナポレオンフィッシュが見えた。赤、青、黄色、賑やかな熱帯魚たち。パン切れをこっそりしのばせ海へジャンプ。ものすごい数の魚が寄ってきて、こっちが食われるかと思った。 お昼も豪華なバイキング。青空の下、紺碧の大洋に浮かぶ島で食べるランチは最高。 腹ごなしに再び海へ飛び込む。海の中は別世界だ。一切の音が遮断され、聞こえるのは自分の呼吸音だけ。「ごー、ごー」と強く響く。 海の中では時間が存在しない。 何もかもがゆったりと悠久の流れで進む。200万年も前からそこに横たわる珊瑚礁。全長2000`もある類をみないスケール。それは「生き物が作り出した世界最大の構造物」と呼ばれるにふさわしいものだった。 全く違う世界だった。間違いなく、海には海の世界があり、ここでは人間は訪問者だ。お邪魔させていただいている感じだった。 グレートバリアリーフ。ケアンズへ行ったら是非、一度訪れてみて下さい。 さて、痛かった腰もカイロプラクティックの手によってだいぶ良くなり、いよいよ最終ミッションであるツアーガイドの仕事を始めることにした。 ケアンズは観光地なので、ツアー会社はたくさんある。 しかし、どこの会社も研修中は給料が支払われないというのが一般だった。 ワーホリ中とはいえ、一応日本企業への就職活動なので私は黒のパンツと白いブラウスを購入し、30度をゆうに超え、くらくらするような灼熱の熱帯気候ケアンズで就職活動を始めた。 いくつかの旅行会社をあたったが、私が選んだのは一番給料が高く、一番研修期間の短いものだった。 それ以外の条件は必要なかった。 オーストラリアに来た目的はただ一つ。 それは“稼ぐ”こと。 私が入った旅行会社は他社からはガイドとみなされず“販売員”と影で言われていた。 観光案内そっちのけでみやげ物を客に売りつけるからだ。 ろくな研修もせずにワーキングホリデーのバイトであることは隠すようにいわれ、早々に実戦に出された。 しかし、私にはこれは都合が良かった。 別にガイドとしてキャリアを磨きたいわけではないので、何ヶ月も無給で研修をうける時間なんてさらさらなかった。 日本からの飛行機は早朝着だったので朝の5時前から空港出口で客を待つ。これがガイド初心者が任される最初の仕事だ。空港での送迎。これができるようになると観光を担当させてもらった。 お迎えといっても、これがまた一筋縄ではいかない。 まず客が出てこないのである。 安いツアーでくる団体客がほとんどだったので、他の客はいらいらしてるし、その後の観光の時間は迫ってるしで、毎回緊張の連続だった。 大抵、日本から梅干やらなんやら食料を持ち込んで検疫でひっかっかっていた。 ビーグル犬がいて、くんくん匂いをかいでいるのだ。オーストラリアは検疫が超厳しい。ひっかかった人はもう泣きそうな顔で出てきて 「こんな国二度とこないっ」 と、いきなり怒っている人も多かった。 ガイドをやってると、本当にいろんな人がいる。特にツアーでくるような人は基本的に旅なれていない。しかも年寄りが多い。 これが団体できた日にゃあ、もう大変なことになる。 あるガイドさんの話。部屋に案内し、帰ろうとすると帰り際に携帯がなり、 「ガイドさん、エアコン消して」 こういう高飛車な客は高いツアーに多い。 安いツアーの客は態度はでかくないが、その代わり小心者である。 ガイドがいないと何もできない。 「ガイドさん、ガイドさん」 気のせいかだんだんと「お母さん」と聞こえてくる。 まあ、頼られるのが仕事だからいいんだけど。 とにかく自分では何一つできない人がたくさんいた。 頼ってくるお客はまだかわいいが、一番たちが悪いのは「俺様」タイプ。ある時帰りの飛行機に隣同士で座れないカップルの男性が怒りだし 「俺達こんな飛行機には乗らねーぞっ、こらあっ!!」 まるでチンピラ。 空港のカウンターで大声でどなっていた。 他のカップルは隣同士の席なのに、なぜ自分達だけが離れ離れなのか?不公平だ、ということらしい。 あほか・・ 乳幼児が母親のとなりに座れないのとはわけが違う。 あまりのわがままっぷりにあきれて物も言えない。 個人的にはこいつらが飛行機に乗ろうが乗るまいが全く興味はなく「あっ、そ」と帰ってしまいたいところだが、そんなことをしたらもちろんクレームになる。 次の仕事が詰まっていたので手におえずにマネージャーを呼んだ。 こいつらは結局「裏技」なる席で帰った。ちなみにこの人 「そんな裏技があるんならとっとと言えっ!こらあ〜っ!!!」 と、またまた怒鳴っていた。 で、裏技って何??興味深々。 早朝から夜中まで、ガイドの仕事は寝る間もないほど忙しかった。 人と会うガイドの仕事は好きだったが、私には根本的にサービス精神が欠けていた。他のガイドを見ていて 「あそこまではできないなあ」 と、冷めた目で見ることもしばしばだった。私は客を甘やかさないという、なんだかよく分らないガイドだった. この頃の私は毎日泣いていた。 忙しいのを口実にだらだらと惰性でいまだ元彼と暮らしており、口論の耐えない日々。 おまけに毎日のようにくる客からのクレームにも精神的にまいっていた。 アルコールが唯一のよりどころとなり、暗い部屋でひくひく泣きながらビールを飲み、時には吐いた。こんなことを繰り返す最低な日々だった。 私はオフィス一、クレームの多いガイドだった。 なぜか? それはサービスよりも金銭主義だったからである。 知らない国で、頼りになる友人もなく、自分を守ってくれるものはお金以外なかった。 金のことで泣くボーイフレンドを見るたびに 「やっぱり金だ」 と切実に思った。 金のない奴はこうなるのか、と。 先に述べたようにガイドの仕事には“案内”という本業の他にお土産や観光オプションを売る“販売”があった。これはノルマである。 売り上げが悪いガイドは容赦なく干された。 仕事がなくなったらしっぽを丸めてまたまた居場所のない日本に帰るしかない。 なんとしても仕事の欲しかった私は手八丁口八丁でオプションやお土産を売りさばいた。 土産の売り文句は必死に研究したが、案内は超適当でバスの中はほとんど世間話に徹していた。 「楽しいガイドさんだけど、肝心なことは説明してくれない」 とアンケートに書かれた。 そしてお客さんのことを考えない強引なセールスはすぐにクレームの対象となった。 体調を崩したので申し込んだ観光をキャンセルしたいというママさんバレーのグループに一度した予約のキャンセルはできません、と言い切った。 パンパンに詰め込んだオプションに体がついていかず、寝込む人まで出たらしい。 嘘がばれて支店長が帰りの空港にあやまりに行ってくれたが、幹事さんに泣かれたという。3年間こつこつ積み立てをしてやっと来た旅行だったのに散々な目にあったと。 それでも幹事さんは 「彼女よりも彼女をあそこまで追い詰めた会社が悪い」 と、なんと私のことをかばってくれた。攻められて当然のことをしたのに・・・。 しかし、クレームはこれだけにとどまらず、日本の某旅行代理店からは名指しで 「あのガイドだけはやめてくれ」 と書面が送られ私の名前はブラックリストに載った。 しかし、私の所属していた会社は町では悪名高く有名でそんなガイドは他にも山ほどいた。そういう人たちは登録名を変え再び平気な顔で仕事をしていた。 しかし、お客からのクレームのみならず、私はオフィススタッフにも迷惑をかけるようになっていた。各自でお店へ行くディナー付きのツアーでは、私の受け持った客からの電話が殺到した。 「道に迷った」「クーポン券を忘れた」などなど。 どう説明しても説明しても私の客からのお助け電話は後を絶たず、オフィスのスタッフから 「いい加減にしてくださいよ。しっかり説明してるんですか??」 と、白い目で見られるようになった。 悪魔のようなガイドだったが、それでも会社は私に仕事を回した。 なぜか? 数字を作るガイドだったからだ。 お客のケアができないのは知っているので、単発の、二度と会わない客だけを回された。 「とにかくお前は売るだけでいいんだ」 クレームでへこむ私にも支店長は「仕事量の多い奴ってのはクレームの量も多いもんなんだよ」と諭した。 この心労生活のせいか、誰もが太るオーストラリアでむしろ私は痩せた。嫌がおうにも代謝のよくなる熱帯気候とケアンズでの自転車生活のせいもあるけど。 ちなみにオーストラリアに来たワーホリの女の子たちは5キロ、10キロはあたり前に太って帰った。 さて、体重は落ちたが、懐はその重さを増していた。 このお客さんを省みない強引な営業でその辺のワーホリ連中に比べて私はかなりの額を稼いでいた。 コミッションの額は給料を上回った。 しかし、この不健康な精神状態はもともと正直者である私の良心を苦しめた。 お客さんと本当はもっと心から接したいのに、どうしてもお金が先にちらついた。 カネにならない客は世話をする気にもなれなかった。 そんな自分が嫌だったけど、コントロールできなかった。 私は金で変わる人間だった。 それを身をもって体験した。そしてだらだらと一緒に暮らしている元彼もクラブでひっかけた女をどうどうと家に連れ込んでくるようになり、そんな腐った生活ともいい加減に縁を切る必要があった。 何もかも疲れた私は会社を辞める決心をし、日本へ帰ることに決めた。 「もういいや、帰ろう。」 ピッキングも乗馬もガイドも全部やった。 もうこの国にいる必要はなかった。 ビザは後3ヶ月を残していたが、わざわざしがみついて一年きっかりいる理由も見つからなかった。 オーストラリアなんかまっぴらだ。 検疫でひっかっかた客なんかより、本当に帰りたいのは私の方だった。 こんな国もう二度と来たくなかった。 支店長に話をする。会社自体はくそみたいな会社だったが、私は支店長が好きだった。 年齢的には30代前半で年の変わらない彼だったが、まっすぐな性格と必死に仕事をする姿はまわりのガイド全てを 「支店長のためにがんばろう」 という気にさせた。 もともとワーキングホリデーをバイトで雇っている会社なので、来るものこばまず去る者追わず。特にひきとめられるようなことはなかったが彼は 「お前は多分正直すぎるんだろうなあ・・・」 と、ちょっと哀れむような笑顔を見せた。 誰も分ってないと思っていたので、そう言われたときおもわず涙があふれそうになり、簡単に挨拶を済ませると逃げるように席を立った。 |