バイトしてた海沿いのカフェ「Coffee Club」
| 27, バック・トゥー・ザ・ウェイトレス |
さて、予定外にまだまだオーストラリアへ滞在するはめになった。彼と付き合うきっかけになったツアーガイドの仕事をやめた後、無職になった私は次の仕事を探さなければならなかった。蓄えはあったけど、田舎町では仕事をしていないと暇でやることがなかったし、収入がないと安心して買い物も出来なかった。 ガイドの仕事はもうこりごりだったし、かといってお土産やのような日本人ばかり相手にする仕事も進歩がなくて嫌だった。 「何をしようかなあ」 と考えていたが、実はこのときすでにカフェで働くことにむちゃむちゃ憧れを持っていた。カフェでバイトなんかする年ではなかったけど、だからこそ、ここでやっとかないともう一生やる機会はないだろうと思った。 再び学生時代のアルバイトをここで経験してみるのもいいだろう。外国のおしゃれなオープンカフェは私の中ではかなりかっこいいイメージだった。しかし、町を見渡してみると日本人をおいているカフェは見当たらない。求人広告にもない。働きたいのに需要がない。 「ん〜、困った。」 一体全体どうやったらカフェで働けるんだろう?八方塞がりだった私はガイド仲間に相談した。すると彼女は 「そんなの直接お店にいって仕事がないか聞けばいいじゃないですか」 と、さらりと言った。 「えーっ、まじで???」 隠れシャイな私はおおいにびびった。英語だってろくに自信がないのに。しかし、逃げてはいけない。変なプライドの高さを克服するために私は飛びこみ求人をすることを決意した。 やはり一番人気は海沿いのエスプラネードと呼ばれるメインストリートにあるコーヒーショップだ。しかし、最初の一歩がなかなか踏み出せない。遠くから覗き込んだり、店の前を行ったり来たり。 こんなにどきどきしたのは一体いつ以来だろう?? よっぽどしっぽを丸めて帰りたかったが、ここで逃げたら女がすたる。何より自分の食いぶちだ。 がんばれアキコ! 心の中でこんな大葛藤を繰り広げつつ、店に入る 「いらっしゃいませー!」 明るく微笑む店員。 よし、言うぞ。 「あのー・・・。新しいスタッフを募集してないですか?」 何度も練習したセリフ。やっと言えた。店員は一瞬キョトンとし、「ああ」という感じでにっこり笑うと、ちょっと待ってね、と店の奥のマネージャーらしい人の元へ走った。 すぐに彼女は戻ってきて、 「ついこの間まで募集してたんだけど、もう埋まっちゃったの。ごめんなさいね」 と、申し訳なさそうに言った。丁寧に礼を言うと私は店を出た。 仕事は得られなかったけど、飛び上がりたくなるほど興奮していた。 「やった!できた!」 これは大きな大きな自信になった。 余談だが、アドバイスをくれたガイド仲間に 「トライしたけどもう決まっちゃったって」と事後報告すると、 なんと彼女は 「そんなの、私の方がもっと仕事ができるってアピールすればいいじゃないですか。私だったらそうするな」 だって。 こえ〜。年下の後輩だったけど、こういう人は敵にまわしたくない・・。友達でよかった。ホッ。 さて、これをかわきりに私はケアンズ中の数十店あるカフェをしらみつぶしに当たった。もう採用うんぬんより、訊ねることに意義があるような感じだった。ちょっと友達とランチをしていて良さそうな店があると、「あ、ちょっと待ってて」と、席を外し 「すみませ〜ん、仕事ありますか〜?」 とここまで気軽にできるようになっていた。う〜ん、すごい順応力。 冷たく断られるかと思ったら、どこのお店も意外と親切に対応してくれた。 名前と連絡先を残していった店もあった。 仕事探しを始めて一週間後、もうケアンズ中のカフェというカフェは当たったし、これでだめなら、またガイドの仕事でも探すか・・。そう思っていた矢先、携帯に一本の電話が。 「アキ〜コ〜?」 聞きなれない外国人の声。 誰かと思ったら、なんと海沿いにいくつかあるうちの、あるコーヒーショップのオーナーからだった。 思わず姿勢を正す。 「まだ仕事探してるかい?」 探してる!ちょー探してる!イエス!イエス!イエ〜ス!! 彼いわく、ポジションが空いたから、私さえ良かったら来てくれないか?という話。 有頂天になった私は早速翌日からお世話になることにした。 そのコーヒーショップは観光客で賑わう海沿いのメインストリートにあり、 私の他にもう一人、やはりワーホリの日本人の女の子、英子ちゃん(仮名)がいた。 日本人観光客用に常に何人かの日本人スタッフを置いているらしい。 ワーホリが外国人と同じ扱いで仕事ができるのはものすごくラッキーなことだった。 ミニ日本社会だったどろどろしたガイドの世界が違う惑星の出来事のように感じられる。 ここでは客も外国人、同僚もボスも外国人。やっと外国にきた、という実感があり、ここにきて初めて本当の英語環境になれた。 いままで、ほとんど日本語で暮らせる環境にいたため、実際に英語で仕事をするとなると、思いのほか伝えたくても伝えられないことが山ほどあった。 同僚の会話もさっぱり分らない。 一人だったら、口数も少なくなり、フラストレーションの一つも溜まっただろうが、英子ちゃんのおかげで私はなんとか乗り切れた。最初は自分以外の日本人の存在がうっとうしかったが、やはり異国では絶対的に同郷の人間は頼りになる。いつもニコニコしていてあまり怒らず、誰にでもやさしくて店のお客さんとも進んで話をする。 こういう彼女から学ぶところは大きかった。私と英子ちゃんは店が終わるとよくお茶をして、悩みことや噂話をしたりして何時間も過ごした。 他の地元のオーストラリア人のバイト仲間もとてもいい人たちでよく面倒を見てくれた。 中でも一番お世話になったのはダニエルという少年。わずか16歳だった。 高校にはいかず一日ここで働いていた。両親が離婚していて、麻薬中毒だとかいう母親と幼い弟の世話をしていた。 母親にお金も貸しているようだった。普通だったらぐれてしまいそうな劣悪の家庭環境なのに、彼はこっちが生活の面倒を見てあげたくなるようなスーパー好青年だった。 笑顔がかわいく、とても面倒見が良く、よく働き、自分の子供かと見間違うほど年の違う小さな弟をこよなく愛していた。 休憩時間に煙草をふかすそのしぐさは16歳ながらもたくさんの重荷と責任感を背負い込み、人生の憂いと悲しさを知っている人のものだった。 昼間のコーヒーショップはそういった学校に行っていない若者が多かったけど、みんな本当にいい子ばかりだったなあ。 このコーヒーショップは海沿いのオープンカフェだけあって、客の出入りは多く死ぬほど忙しかった。 外では空いた食器を下げるために走り周り、厨房では汗まみれになって食器を洗った。 想像していた憧れのカフェ生活とはほど遠く、ものすごい肉体労働だったけど、とても健康的に働き、たくさんの地元の若者と話した時期だった。店が終わると朝のシフトのスタッフでまだ明るいうちからとなりのバーでビールジョッキをあおった。 店に出て分ったことだが、意外と体当たり職探し組は多い。日本人はいなかったが、外国人の若者たちはわりと気軽に「仕事ない?」とカウンターに尋ねに来ていた。 |
