| 31, それは突然嵐のように |
同居生活はすこぶる楽しく、どんどんお互いに惹かれあっていき、私のビザがあと1ヶ月で切れるなんてつらい現実は考えたくなかった。 自転車で10分もすればそこは世界のダイバーを魅了する「グレイトバリアリーフ“、町を取り囲む世界遺産の熱帯雨林。私たちはよく海沿いの芝生にブランケットを広げてごろりと横になり、うとうとと午後のまどろみを楽しんだ。彼の腕に包まれ、空の眩しさに目を細める。 彼は私をまるでお気に入りのぬいぐるみのようにしっかりと抱きしめた。 大きくてたくましい腕の中にいると私は小さな子供のようにとても安心だった。守られ、そして愛されているのを感じた。 ところがこの愛にあふれた生活はある日を境に音を立てて崩れていった。 ある夜、彼が仲間とお酒を飲んで酔って帰ってきた。 「おかえりー」 ちょうど寝ようと思って歯を磨いていた私は洗面所から顔を覗かせた。すると開口一番彼は言った。 「浮気してるだろう」 は???いきなり何を言い出すのかと思ったら“浮気してるだろう????”あまりに突拍子もないことを言い出すので私は思わず笑ってしまった。 「はあ?してないけど。・・・・なんで?」 彼は真剣な顔をして“人から聞いた”という。そしてそのままスタスタとリビングへ行くと、冷蔵庫に張ってあった私たちのツーショット写真をびりびりと全てはぎとるとゴミ箱へ捨てた。 これには怒った。人の話も聞かないでいきなり浮気者扱いかよ?しかも“人から聞いた”だとお? ほんとに浮気でもしてりゃあまだいいが(よくないか)、全く身に覚えのない私は彼にでたらめを吹き込んだ人間と、そしてそれを丸々鵜呑みにする彼に頭にきた。 「一体全体、誰に聞いたっていうのよ?!」 しかし、彼はそれは君には関係のないことだ、という。なんだそりゃ?思いっきり関係してるじゃん! 隣の夫婦の噂話じゃないんだよ?私の話でしょ?? 彼はあくまで不機嫌で完全に私を疑っていた。酔っているせいもあり、必死に弁解する私との会話も全く筋が通っておらず訳の分からないことばかり言った。あげくの果てには「イミグレーションに電話する」という。またまた理解に苦しむ展開を見せた彼にイミグレーションに電話してどうすんだ?と問うと、 「君のことを通報してやる」だって。あのなー。私のことを不法滞在のフィリピーナかなんか(フィリピーナの方ごめんなさい!)と勘違いしてるんじゃないの?ちゃんとビザもってんだよ!アホ!「勝手にしろ」というと、なんと彼は番号案内で電話番号を調べ本当に電話した!しかも、夜の10時過ぎに。当たり前だが誰もでないので彼は受話器を置いた。そして私に向かって言ってはいけない一言を吐いた。 「日本へ帰れ!」 ・・・・・これは反則だ。 どんなに大喧嘩しても、どんなに憎まれ口をたたいても、これだけは言ってはいけない。 言葉もろくに通じず、テレビも新聞も理解できず、それでもがんばっている、孤独な戦いをしている外国人にむかって。知らない国で仕事を見つけ、アパートを見つけ、なんとか生活していくことがどんなに大変か。完全に私たちは“弱者”だ。助けなしでは生きていけない立場だ。その人間に向かって、酒が入っているとはいえ「帰れ」とは・・・・。 私は彼という人間をこの瞬間から一気に信じられなくなった。そんなことをいうなんて。人として軽蔑した。 私だったら絶対言わない。死んでも言わない。 怒り心頭だったが、酔っ払い相手にらちの明かない会話をしても時間の無駄なので、その夜は別々の部屋で寝た。当時、ガイドを辞めた私は地元のコーヒーショップでアルバイトをしており、6時半からの出勤のため早朝起きると彼はベッドで気持ちよさそうにすやすや眠っていた。 人のことをあれだけ傷つけておいて何事もなかったかのように眠りにつく彼が憎らしく、昨日の怒りが未だ収まらない私は、鍋になみなみと水を汲むと寝ている彼の顔めがけておもいっきりぶっかけた。彼は飛び起きると一瞬何が起きたのか分からない顔で周りを見回したが、私が水をかけたことが分かると、「信じられない」というように首をふりバタンと寝室のドアを乱暴に閉めた。 仕事をしている時は忙しかったし、仲間もいたし、なんとか気を紛らわすことができた。 ところが彼は私の携帯にこんなメールをいれてきた 「夕べはごめん。僕が悪かった。愛してる」 なんだよそれ?あれだけひどいことをして今度は“愛してる”だと? さっぱり訳が分からないながらも、私も彼のことは大好きだったので「とりあえず良かった良かった」と朝のブルーな気分もふっとんだ。 ところがその日をきっかけに彼は酔って私にからむことが多くなった。決まって浮気の話を持ち出し、「相手は分かってるんだ」とか「あんな女と付き合って“お前は馬鹿か?”って俺はばかにされてるんだぞ」などと言ってきた。だから誰に言われてるんだよ??と問いただしても頑として口を割らない。 これは何かの陰謀か?誰かが私たちの仲を壊そうとしてるのか?そうとしか考えられなかった。彼の話ではクラブで男といる私を見た、と5人の人間から言われた、という。 一人、2人ならまだ勘違いということもあるが、さすがに5人の人間から言われたら信じないわけにはいかないだろう??と彼もどうしたらいいか分からないという感じだった。 う〜ん。しかし私が驚いたのは“私を見た”と人々が証言する場所の3箇所のうち2箇所は行った事も聞いたこともない場所だった。 一つだけ知っいるクラブがあったが、一度だけコーヒーショップの仲間4人で遊びにいったことがあった。 そこを見られたのかも知れない。しかしそれはそれで私の勝手だ。そこでバイト仲間と踊っていたのを“男と一緒だった”なんていわれてもいい迷惑だ。ほっといてくれ。 そんなことを逐一報告する方もする方だが、それを一方的に信じる彼にもうんざりしていた。そして何よりも人の一挙一動を噂するしかない小さな田舎町に嫌悪感を覚えた。隅から隅まで自転車で周れてしまうくらい小さな町だった。豊かな自然でのんびりしている、ということは反面たいした娯楽もなく、やることもない、ということでもあった。 何度も喧嘩を繰り返し、その度に「悪かった、愛してる」のメール。絶対にこの人は変わらないんだ、そう思った。一度失くした信用はもうもとには戻らないようだった。愛なんてもろいものだ。今まで何度となく経験したことだったが、改めてそう感じた。何年かけてはぐくんだ愛情であっても壊れるのは一瞬だ。ある友人も5年間付き合った彼がいたが、別れるのは1時間で十分だった、と言っていた。 彼のあまりに突然の豹変ぶりに私はその理由を考えた。いくら噂といえども、一緒に暮らしていれば本当に愛しているのが誰かくらいは分かるはずだ。“噂話”はきっかけでしかなかった。人からアドバイスされたものだが、どうやら突然の豹変は彼の愛情が偏った形のものらしい。あと1ヶ月で最愛の恋人はいなくなってしまう。つらい。かといって結婚するほどの責任はもてない。それなら彼女を傷つけることで自分から離してしまおう。という心理状態らしい。かわいさ余って憎さ100倍、みたいなものか。 「私から裏ぎられた」というシュチュエーションは彼にとって好都合だった。私を悪者にして、目の前から消えてくれ、というわけである。弱い男だった。でも気がついて良かった。もはや口を開けば憎まれ口をたたき、涙をながし、大声で罵倒しあうようになっていた私たちにはもう一緒にいる理由は見つからなかった。彼の望み通りとっとと日本に帰るしかなかった。 喧嘩をして大きな声で彼を中傷する私に彼は「いいから聞け!愛してるんだよ!!」 悲しそうに叫んだ。もう私たちの手にはおえない。お互いにどうしていいか分からなくなっていた。時々彼のみせるやさしい、そして悲しそうな態度に翻弄され、結局私はビザの切れる最終日までオーストラリアにいた。 空港まで送ってくれた彼。悲しいけれどお互いにほっとした感じだった。ビザが切れて良かった。これ以上彼のもとにいたら、もっともっと傷つけあって友達にさえ戻れなくなってしまっただろう。 「いつか日本にいくよ」 口先だけの男。絶対にかなうことのない約束だと知りながらも私は心のどこかで「ひょっとしたら」という期待を抱いていた。彼は一度も振り返ることなくさっさと空港を去った。私は彼と別れた。 |