32, 帰国

日本に帰ると私の心の変化はよく見えた。
旅行ではなくアパートを借りて生活していたくせに
私の荷物はバックパックが一つと小さなダンボールだけだったパッキングしてみて自分でも驚いた。これだけ?これだけで一年も生活してたんだ。人は意外とシンプルに暮らせることを知る。
私がオーストラリアへ立つ2日前に日本の我が家は新居へ引っ越した。
私は2日だけ新しい家に住むとすぐに家を出たので、帰ってみると私の部屋だけ未だダンボールが山積みされており、“一人時間差引越し状態”だった。何がどこにあるかも分からないので、一週間ほど私はバックパックの中身だけで生活していた。それでも全く不便はなかった。
1年と10ヶ月やってきた生活である。

ダンボールの中身を片すとそれはそれは膨大な量の生活品に埋もれて暮らしていたことに驚いた。これもいらない、あれもいらない、ダンボール5箱ほどの衣類や雑貨を処分した。タンスとクローゼット、部屋のキャパシティーに納まらないものはじゃんじゃん捨て、その結果私の身辺はとてもすっきりした。
ど田舎でのんびりと暮らしていたせいか、帰ってくると日本人の生活がとても神経質なものに見えた。ベランダに裸足ででるだけで母は甲高い声を上げた。
どうでもいいことに神経を使いすぎのような気がした
化粧も薄くなり、彼の「ビー・ナチュラル(自然体でいよう)」という言葉がとてもよく理解できた。
彼は私に自然のままで、そのままが一番美しい、と教えてくれた。自分のもっている魅力に自信を持つことを教えてくれた。私の髪の天然パーマを美しいといい、(ちなみに日本ではテンパは女の敵だ)君の唇はそのままで美しい、君の黒髪は、アーモンドのようなその瞳は、そのままで美しいと絶えず褒めてくれた。
おかげで私は帰国してからの今も口紅をつけない生活がすっかり当たり前になり(たまにつけるとなんか気持ち悪い)、昔はストレートにすることに命をかけていた髪も、この自然なウェーブを愛せるようになった。
そして17年間染め続けた髪を黒く戻した。久しぶりに行った美容院のお姉さんにも
「なんか感じがやさしくなりましたねえ」と言われた。

帰国して数ヶ月後、彼から指輪が送られてきた。未練のプロポーズではない。一緒に暮らしているときからこつこつと彼が手作りで作っていたものだった。自分の誕生年の銀のコインのふちをとんかちでこんこん毎晩たたいていた。中をくり抜いて指輪ができるという。自分の妹にも昔作ったと言ってた。2人の仲が険悪になってからはその音もすっかりとだえ、私はけんかの際に
「指輪だって、結局できてないじゃないっ。嘘つき!」
と罵った。その指輪だった。
中央にはガーネットの石が埋め込まれていた。赤よりやや暗め、したたり落ちた血のように深い色。
私の誕生石はルビーだが、「色が明るすぎて好きではない。同じ赤ならガーネットの赤の方が好きだ」と言ったのを覚えていた。裏には「The Wolf(狼)」と彫ってあった。気の強い私を皮肉って彼がつけたニックネームだ。指輪ケースには小さくたたまれたメモが。

「バッドラック(不幸)の指輪だ。誰にもあげられないから、君に送るよ。いらなかったら捨ててくれ」

どんな形であれ、生まれて初めて贈られたリングだった。
小さな石が3つ埋め込まれたシンプルな銀の指輪は、彼にしては珍しくセンスのいいものだった。
悲しみのリング。血色の3粒のガーネットは彼の心の傷から零れ落ちたのかもしれない。
私が去った後にこれを作り続けた彼の気持ちを察すると泣けた。
一生これを大事にしよう。これを見るたびに彼のことを思い出そう。ずーっとずーっとあの日々を忘れないでいよう。
ユーラシア大陸横断の10ヶ月、そしてオーストラリアの1年。私の旅は終った。