5,旅人の語学力

さて、このとき私の語学力はというと?旅に憧れる多くの人があげる不安の一つとしてこの“語学力”があげられる。ぺらぺらである必要は全くないけど、全くしゃべれなくても相当痛い目にあうことは確実だ。
私はこの点まだましだった。地味ながら学生時代から続けている毎日15分のラジオ英会話。まともな会話こそできないものの、
「あーしたい、こーしたい」
ぐらいの超初級レベルの欲求なら伝えることができた。ただし、あくまでここ止まり。この程度である。この程度だけど行ってしまうのである。そんなことより大切なのはコミュニケーション能力。そして

「知りたい、食べたい(?)、話したい」

の3大欲があれば、言葉が通じなくてもなんとかなる。別に国際会議や商談をしに行くわけではないのである。不思議なことで全く違う言語で話されても、目を「じ〜っ」と見て聞いてると、突然「あーっ!!」なるほどっ!とスカーンと理解できる瞬間があるのである。これは電話ではだめだ。あくまでフェイス・トゥ・フェイスである。ハート・トゥ・ハートなのである。臭いセリフだが、意外とホントなのかも知れない。

旅に必要なのは、度胸と好奇心と少しの金(チャップリンも言ってたよね?多分)である。そして私の持論、“学びたい言葉があったらその国に行っちまえ”である。日本でいくら高い金かけて語学学校へ行き、そこで小一時間しゃべったところでクラスを出たら、怒涛のごとく日本語オンリーの世界。見るもの、聞くもの全て日本語。こういった環境で英語を学ぶには厳しいものがある。”矢沢栄吉的成り上がり派”の私としてはかわいい子は背中を蹴り飛ばして谷底に突き落とす主義である。これは“かわいい自分”にも共通する。
人は環境で変わる。その場になればなんとかなる。考えるよりも生むが易すし。というわけである程度の意思表示ができるレベルで決行に踏み切った。

さて、私はこのあと10ヶ月もの間、タイからイギリスまでバックパック一つで横断するわけだが、もちろん歩いてではない。そんな疲れることは絶対にやらない。
最初はどこかの国でボランティアでもやろうかと思っけど、無償のボランティアなんてよ〜く考えたら絶対無理。そういうことは金のある人がやればいいのである。金のない私がいい人ぶってボランティアなんていっても、ますますカネ、カネ言うだけである。はっきりいって私はお金が大好きなのである。財布の大きさは心の大きさと比例すると信じているので、お金とは極端にある必要はないけれど、極端に無いのも大問題である。
結局純粋に「旅」をすることにした。もちろん一人で行ったわけだけど、行く先、行く先で信じられないくらいたくさんの人と出会った。たくさんの出来事が起きた。ついでにたくさんの男とも出会った。この旅で初めて外国人と付き合った。ちょーへたくそだった英語はいつのまにか喧嘩にも困らないほど成長した。
国から国へと渡る度に男も変わった。
シリアでは2年間世界を自転車で横断しているイギリス人と出会った。ヨルダンでは遺跡の発掘をしている流しの考古学者カナダ人、インドではインド文化を勉強をしているノルウェー人学生、イスラエルではパレスチナ紛争を撮るジャーナリスト。
私をとりまく男達はみなおもしろい経歴をもつ者ばかりだった。そういう人ばかりを引き寄せた。自転車で世界を走っているイギリス人に恋した時なんて自転車を購入し一緒についていった。ちなみにシリア、ヨルダンである。国境も自転車で越えた。インドで恋した時は男を追いかけ、48時間電車に揺られインド半島を走り抜けた。ヨルダンでは痴漢した男を刑務所送りにした。死体もみたし、怪我もしたし、けんかもしたし、辛い別れ、ときめく出会い、ほんとにいろいろな体験をした。日本にいたら一生かかってもできないようなことをわずか10ヶ月で経験した。おもいきってリュックを背負って海を越えたとき、私はとてつもなく大きなステップを踏んでいた。どこにでもいけるんだ。どこに行ってもいいんだ。この広い世界、心の赴くままに。誰にも心配されない頼りなさと不安、と同時に信じられないくらい自由だった。

ひとり猿岩石と、ひとりあいのりを同時にやったこの旅は著書「ビューティフル・プラネット」に詳しく書いたので省きます。

さて、長かった前置きはここまで。いよいよ来週は旅から帰った「その後」。私のいない10ヶ月間、日本ではさまざまなことが起こっていました。そして、なぜオーストラリアを選んだのか?が明らかになります。ビューティフルプラネット続編、本番突入です。お楽しみに!


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