8,ゴールドコースト(サーファーズパラダイス)

成田から最初に向かったのはクイーンズランド州の首都ブリスベン。サーファーズパラダイスから一番近い国際空港である。日本から約9時間。広いオーストラリア東海岸の中ほどに位置し、大きな川が流れ、ヨーロッパの面影ただよう美しい都市だ。オーストラリアはばかでかいわりには人の住めるエリアが少ない。観光名所の「エアーズロック」からも分かる通り、真ん中らへんはほとんど砂漠。
北は赤道に近いので超熱帯。経済の中心は大陸の下半分、ほとんどの主要な都市は海岸線に沿っている。

数え切れない渡航歴の中で、こんなにわくわくしない到着も初めてだった。お迎えは?と甘い期待を寄せたが、世界旅行を終えた私を友人は一切甘やかしてはくれなかった。空港から彼女に電話すると、
「おー、着いたか。そこから一時間くらいだから、地元のバスステーションまで来て」
と当然のように言った。
「なに〜・・・・」
特別な歓迎の気配もなく、普通に地元の駅に来たような扱い。「そこから10分くらいだから歩いてきて」みたいじゃん。しかも外国よ、海外よ(同じか)、異国の地よ(古いか)。普通の観光客ならかなりびびるだろうが、私の場合実際なんでもできてしまうから泣ける。バスステーションの名前だけ確認すると、恐る恐るドライバーのおっちゃんを捕まえバスを確認した。久しぶりの外国人なのでちょっと緊張。通じるかな、英語。おじさんはとても親切で次のサーファーズパラダイス行きの時刻を教えてくれた。

ここで「あ〜、オーストラリアに来たんだ」とまず思ったのは、おじさんが半ズボンにサスペンダー、そしてハイソックスといういでたちだったこと。こんな紙一重な制服は日本じゃなかなかお目にかからないだろう。60歳近いおじちゃんのその子供のようないでたちはとても“外国”を感じさせた。またこれが彼らにとてもよく似合っていた。なんかかわいい。30分ほど待った後、私はエアポートバスで友人の待つサーファーズパラダイスへと向かった。

ブリスベンからバスで一時間ほど走ると“ゴールドコースト”という海岸線にでる。直訳すると“黄金海岸”。豪華な名前である。砂浜が金で出来ているかというとそうでもない。しかしその名の通り美しいビーチが延々と続くスーパーリゾート地だ。友人の住む場所はそこでもさらに賑やかな“サーファーズパラダイス”とう場所。これもまた文字通り、サーファーの皆様のパラダイス。もう噛み砕きようがないくらい分かりやすい名称なのだ。高い波が立ち、老いも若きもお子様も波を楽しんでいた。ボディーボードで海草のように波にもちくちゃにされて岸に打ち上げられる子供から、筋肉のひきしまった小麦色の肌がつやつやとまぶしい(見すぎ?)セクシーサーファーまで、思い思いに波を楽しんでいた。またここは高層リゾートマンションがビーチ沿いに立ちならび年々賑わいを増している。

さてその友人とは実はワーキングホリデー(以下ワーホリ)の先輩でもあった。彼女は大学を卒業するとすぐに向こうへ渡り、そこでオージー(オーストラリア人のことをこう呼ぶ)のボーイフレンドと出会い、一年後入れ替わりに彼氏が逆ワーホリで日本へ来た。知らない人も多いと思うが、日本人がワーホリで海外へ行くのと同様、日本にもワーキングホリデー制度がある。英会話学校の若い先生なんかはほとんどワーホリビザではないだろうか?そして彼氏のビザ切れの一年後、今度は2人揃ってオーストラリアへと旅立った。とても親しい友達だったので、いなくなるのは寂しかったが、今こうして異国で頼りにできるのはとてもラッキーだ。
久しぶりの再会だった。長いストレートの髪、150センチという小柄で童顔の彼女だったが、その髪を肩までスパッときり、オーストラリア在住者らしく、その肌はきれいに小麦色に日焼けしていた。サングラスで前髪を押し上げ、車へと案内する姿はとても逞しく見えた。
何の目的も希望もないまま大きなスーツケースをごろごろ転がして来た私と比べて、着々と海外で自分の生活を築いている相棒のあまりの成長っぷりに私ははっきりいってショックを受けた。が、そんな虫の息の私にさらにとどめを刺すものが目に飛び込んできた。彼女の小さな左手の薬指にきらり〜んと何やら光るものが。ま、ま、ま、ま、まさか。
それはダイヤの指輪だった。大きなカットのどう見ても婚約指輪。いやいや、こてこての婚約指輪だった。しかもよーく見るとダイヤのリングと重ねて華奢なゴールドのリングをしていた。
これはひょっとして・・・・。
「ひょっとして・・・結婚したの・・?」
どうか嘘であってくれ。そう願いながら絶対に無視できない質問をいきなりぶつけた。
彼女は「ああ」という風にあっけらかんと
「あれっ?メールいってなかったっけ?5月に挙式もあげたんだよ。あれ〜、おかしいなあ」
と、首をかしげた。
来てねーっつの、そんなメール!
私は思わずそのまま空港にUターンしようかと思った。はあ〜?うそでしょ〜・・・体中の力が抜けた。もう彼女と話しをするのも辛かった。この人にどんな顔ができるというのだろう。笑顔でおめでとうなんて言えるのか?彼女も違うんだ。もう、仲間じゃないんだ。家庭があるんだ。愛してくれる、守ってくれる人がいるんだ。誰よりも大切な人が、そして大切にしてくる人が。
私には誰もいないのに。心配してくれる人なんか、愛してくれる人なんかいないのに。
「この人もか・・。」
着々と無茶なリスクをおかせる友を失い、私はますます孤独に陥っていった。

一緒に暮らすためにオーストラリアへきたんだから、友人に彼氏がいるのは当たり前だが、あまり自分のプライベートを話さない彼女は頻繁なメールの中でも一切彼氏の話題をあげたことがなかった。さらに彼女のメールでは、今までは彼氏と一緒に住んでいることでオーストラリアに住む権利が発生していたが、滞在年数がある一定の時期をすぎた今、彼女は一個人としてオーストラリアの住人としての権利がとれるようになったと言った。なんとなく、彼女だけはシングル族の仲間でい続けてくれると勝手に信じていたので彼女の結婚は本当にショックだった。どんどんおいてけぼりをくっている気分だった。私だけが立ち止まっていた。もがいていた。彼女には悪いが全然祝福できなかった。嫉妬と絶望の固まりだった。どうして周りばかり幸せになるの?そればかり考えていた。なんで結婚するの?なんで好きなの?
私は愛に対して疑心暗鬼になっていた。できるだけ、得な男。外国に住みたい。ハーフの子供が欲しい。外国人と結婚する女なんて、そんな対象でしか見れなかった。(当時はね。ごめん!)とにかく、彼女にはもうパートナーがいた。あてにしていたのに、私と入れ替えに1週間後に帰国するという友人夫婦は私のことなどかまっている暇はなく、泊まる宿や銀行口座の開設までは面倒みてくれたがそれから先の暮らし、仕事、家、当たり前だけどそれは全て自分でやらなければならなかった。生まれて初めての経験。早い人なら高校を卒業し親元をでてやるようなことを、私は言葉も通じない、知り合いもろくにいない外国で29歳にして初めて経験することになった。

家はオーストラリアでは誰かとシェア(共有)するのが一般だ。払うものさえ払っていれば、そこに何人入ってようが、人が入れ替わろうが、不動産屋も大家も文句は言わない。日本だとちょっと考えにくいけど。なにせここには土地がある。安いアパートにもプールがついてるし、部屋が広いのでアパートには普通ベッドルームが2つある。そこを誰かに貸して2人で暮らすのだ。一軒家なら部屋数もたくさんあるので全部の部屋をアパートみたいに貸している人も多い。日本みたいに契約者しか入れない、というお堅いルールは存在しない。だからまた貸しにつぐまた貸しで、もともとの契約者はとっくの昔に日本に帰ってしまっていた、なんていうだらしないケースもある。キッチンやバスルームは共同だ。日本人のごろごろいるオーストラリアではよほど注意しないと日本人と暮らして日本人と仕事をし、日本人だけでたむろして、あっという間に一年たった、なんてことは簡単だ。なんのために海を越えたのか首をかしげたくなる連中がごまんといた。そんな中で外国人と部屋をシェアし、外国人の中で働く、という理想の環境を探すのは外国にいるくせにとても難しかった。ワーホリメーカー(ワーホリをする人々のこと)の間でそんな理想的環境の取り合いのようだった。まず言葉の問題でやはり英語環境の職場にいきなりは入れてもらえない。
ワーホリの子たちにはオーストラリアにきて初めて外国人としゃべった、という人は珍しくない。そんなわけでワーホリのできる仕事なんて、ツアーガイドか日本食レストラン、はたまたお土産やさんといったような日本人観光客を相手にしたものばかりだった。町には日本人用の掲示版があり、そこにルームメイトや求人募集の張り紙がところ狭しと張られており、みなそれを見上げてメモをとっていた。
私もそのインフォメーションをみて何件かあたったが、どれもこれもすでに借り手は決まっており、古い情報がいつまでも置き去りにされているだけだということに気がついた。サーファーズパラダイスはとても狭い。そのくせ日本人は石をなげればあたるほど多い。住まいと仕事は需要と供給のバランスを失っているように見えた。
電話をかけてもかけても、すでに借り手がついていることと、友人の日本帰国が目前に迫っていることもあり、私はあせっていた。もともとオーストラリアを観光する気はさらさらなかったので、とっとと仕事を見つけて一つの場所に落ち着きたかった。のんびりとしている暇はない。お金ばかりが減っていく。頼りにできる人もいなくなる。そうなったら私はこの国で住所不定無職。本当にひとりぼっちになってしまう。どん底だった。日本にいても、オーストラリアにきても、どこにいても最悪だった。
あせりつつも4日ほどが過ぎたある朝。私はとあるカフェに朝食をとりに出かけた。そこでよく覚えていないけど、コーヒーと確か、サンドイッチのようなものを注文したと思う。食の細い私はそのサンドイッチを食べ切れず半分ほど残してしまったが、何を思ったのか、となりに座って新聞を読んでいたおじさんに「残しちゃったんだけど、良かったら半分どうですか?」と聞いた。私はこうした日本ではちょっと考えられないようなことを海外にでると平気でやる。自分でも驚く。本当にごく自然に口をついてしまうのだ。自分がとても倹約した生活をしていたので、こうして食べ物を残すのは本当にもったいないと思った。同じようにお金がなくて節約してる人ならきっと喜んでもらってくれるに違いないと信じていた。かといって世間の皆が皆、私のように金がないと思ったら大間違いだ。見ず知らずの日本人にいきなり食い残したサンドイッチを勧められておじさんはびっくりしていたが、彼はにっこり笑うと
「いや、結構。ありがとう」
と、やんわりと断った。が、ここからが出会いの不思議。私のオーストラリアジェットコースター生活(?)はここからスタートした。

これをきっかけにおじさんは私に興味をもったらしくいろいろ話しかけてきた。
「こっちに住んでるの?」
滞在わずか4日目の私はその言葉にまんざら悪い気もしなかったが
「ううん。ワーキングホリデーで来たの。今住む場所を探してるんだけど・・・。なかなかねえ」
と、現在ある状況を素直に告白した。するとなんとおっさんは信じられないことを言った「ほんと??僕も今シェアメイト(一緒に住む人のことをこう呼ぶ)を探してるんだ。ベッドルームが一つ開いてるんだよ!」
まじで〜??これは驚いた。神のお導きか?そろそろ見つけてやるか、ってことか?私はびっくりした。知らない男の人と2人で住んで大丈夫か?とも一瞬思ったが、おっさんは50代にみえ、何か悪巧みを考えるにはいささか年をとりすぎているように見えた。家探しにもいい加減疲れており、なにはともあれ、歩いてすぐだという彼の家を見に行くことにした。
彼のアパートは新品のピカピカの家だった。広〜いリビング。各部屋には大きなダブルベット。あまり生活感がなく、まるでモデルルームのようだった。日本の自分の家とのあまりの違いにびっくりした。これが外国の家かあ・・・。気にいった私はすぐにここに住むことに決めた。先に1週間分の家賃を渡すと、引越しの日を伝え、すこぶるご機嫌でその家を後にした。しかし、この時の私はまだ知らなかった。そこが恐ろしい悪魔の家だということを・・・・。

明日帰国、という日に友人ともう一度会った。調味料をいろいろ置いていってくれるという。なにがなんでも彼女のいるうちに家を決めたかった私は半ば得意げにいきさつを話した。とっとと幸せになった2人が悔しくて、いかに私がラッキーな女かということを、一人でなんでもできるということを証明したかった。知人夫婦はおもしろい偶然に驚き、がんばってね、と言い残すと調味料の入った袋を私に渡し2人仲良く日本へと旅立った。